高校二年生の春、私は彼女に恋をした。
同級生の花岡みどりは美しくて男の子のような凛とした雰囲気があったから、同性から人気があったけれど、彼女たちのみどりへの想いが私と同じものだったかは定かでない。
けれどそこに、種はきっとあったのだ。愛情の花が咲く種。
その種をゆっくり育てたのは私だけで、打ち明けたのも私だけだった。
べたべたの、ありきたりな告白だった。私は卒業して彼女と離れ離れになってしまうのを恐れ、いや、それだけじゃなくて彼女が他の女の子たちのように、
いつか自分の女という役割を受け入れて、男性と愛し合ってしまうのを恐れたのだ。
卒業の記念に心残りをなくすつもりの、色よい返事など期待していなかった告白だったから「付き合ってください」などとは言わなかった。
何の願いもなく、ただ唐突にあなたが好きとだけ言った私に、驚いたことにみどりは付き合おうと言ってくれた。
彼女は、女の子を愛せる女の子ではなかったと思う。ただ、友人として親しくしていた私の想いに応えようとしてくれたのだろう。
きっと、私の気まぐれに付き合うつもりで、ままごとのような気持ちで恋人になろうと言ってくれたのだ。
始まり方はどうでもいい。
ままごとで始まったものだろうと、長らく恋人として振る舞ううち、私たちは本当に愛し合ったからだ。
私たちがどこへデートに出かけようと、誰も恋人として見なかった。私たちも、人前で目立つような恋人らしい振る舞いはしなかったから。
そして夜になれば、小さな子供のように拙い、ペッティングだけのセックスをした。それでよかった。私は女の子の役、みどりは男の子の役だ。
でも問題は、男の影すら匂わせない私たちが、大人になるにつれて幸せではない女と見られるようになったことだ。
みどりは私のために、合コンに誘われても断るようにしてくれたが、美しくも男性の影がないみどりがどうして、と邪推された。
私も30歳に近付く頃から母親に、孫が見たいとはっきり言われるようになってきた。頑張りなさいと、応援された。
ごめんなさい、と、その度に悪いことはしていないのに思った。私が愛した人は、お母さんに紹介することができないのです。
友達は一人、また一人とウェディングドレスに身を包み、私とみどりはお祝いに駆けつけた。
そしてその度、少しずつなにか漠然としたものに対しての罪悪感が膨らんでいった。
それと同時に何となく、私とみどりの関係性も噛み合わなくなってきて……私たちは嘘をつきたがるようになっていた。
社会に対しての嘘だ。
異性しか愛せず、なかなか素敵な男性が現れないとためらっているうちに年を取ってしまった女の子。
そういう風に振る舞えば、母親や友達とうまくやっていけることに気付いてしまったのだ。
だから私たちはさよならをした。
これからは普通の女の子になろう。女の子が好きな女の子なんてやめてしまおう。
今度会うときはきっと、にっこり笑って、手を振り合って……そうしてすれ違う、友達になるのだ。
でも、長くて素敵な恋だったと思う。
私はみどりが大好きだった。
「……これは、ちょっとないんじゃないの?」
みどりがいつの間にか、私の手元を覗き込んで苦笑している。そうしてやんわり、私の握った鉛筆を取り上げてしまう。もしも私たちが別れることになったら……と妄想して書いた小説というより
もしも日記。縁起でもない妄想だった。
「いいじゃない、日記みたいなものなんだもの」
「どうしてわたしと花奈子が別れなくちゃいけないの、この歳じゃ新しい恋人なんて見つからないよ」
「うそつき、みどりはクリスマスにたくさんお誘い受けてたくせに」
私は子供っぽく唇を尖らせてみせる。もうそんな仕草が可愛いより少しイタいと言われてしまう年齢なのかもしれないけれど、みどりは笑う。花奈子と過ごしたい、と言ってくれる。
私たちは二人とももう30歳になった。恋人同士のままこんなに長続きするとは正直思ってもみなかったんだけれど、みどりがずっと傍にいてくれるのが嬉しくてつい、二人の馴れ初めを
振り返ったり思い出に浸っているうち、いつしか鉛筆が綴っていたのは二人が別れるありえない妄想だった。……でもね。
「最近ふと思うことがあるの。みどりも私も女の子なんだもの、男の人と結婚もしないでいたら誰かに怒られるんじゃないかなって」
「別に怒られてもいいよ。わたしは男の子でいい、花奈子の彼氏」
頼もしくて笑顔が爽やかで、私を守ってくれるみどりはいつでも私の大好きな恋人で……けれどやっぱり、彼女も女の子だ。誰かの胸に縋って泣きたいときもあるんじゃないか、私の
前で男の子の役をしているから、私には甘えられないんじゃないか……そう、心配になることがある。
「ねぇ、みどり」
「なに?馬鹿なことは言い出さないよね」
「寂しかったら、彼氏、作ってもいいよ」
「……バカ」
みどりに頭を小突かれた。やっぱり優しい。
もしかしたら、とどうしても私は思ってしまう。自分で思っているより少し根暗なのかもしれない。
今はそんな気配もないけれど、もっと未来、私たちが「恋愛も結婚も子育てもしない女」という周囲の目に耐えきれなくなったとき、私たちは周囲の望むように
男性を恋人として、結婚するのかもしれない。そのために私とみどりは別れなくてはいけないだろう。どんなに私たちが愛し合っていても、それは女の子同士のままごと。
保証のない恋愛なのだから。
でも今はそれについて深く考えるのはやめよう。私の他愛もない妄想として、ノートの片隅に描いただけでおしまいにしよう。
そして私たちはテレビを見ながら指を絡め、キスをして、夜には小さな子供のように拙い、ペッティングだけのセックスをする。
それでいいんだ。少なくとも今は。
子猫の兄弟のように寄り添って眠るベッドの上はとても暖かいから、それさえあればずっと生きていけると思った。
---------------------------------
【緑と花の、】20131230